プロフィール関連 - 優しい人・理解者限定!ニート・引きこもり脱出応援ブログ!

 

ブログを引っ越しします。
新しいブログは こちら です。




   ニートになった根底の原因、僕と恐怖症

高所恐怖症やら閉所恐怖症やら
マンガやコントで面白おかしく扱われていますよね。
でも実際のところ、当の本人はものすごく怖がっているのが現実です。

僕の持っている恐怖症は「嘔吐恐怖症」というみたいです。
社会不安障害?パニック障害?
昔、自分がどういう状態なのか調べていって
時間かかりましたが、こういう恐怖症があるんだと発見しました。

社会不安障害はこの恐怖症が原因、
パニック状態に陥っても、過呼吸に陥ったり、
このまま死んでしまいそうとかは感じたことはないので
パニック障害ではないと認識。


幼少の頃から「吐く」ということの苦しさが
もともと苦手だったのですが、それにトドメを指したのが
8歳、小学校2年生のときの中華料理店に行った帰りでした。

食べ過ぎたのか、油っこかったのか
帰りしな車に向かう途中おなかが痛くて‥‥車手前で戻しました。

これがトラウマとなり、
ここからが他人が理解できない自分の辛い小学生時代の始まりでした。
まず外食全般がダメになりました。
外食に行くと気持ち悪くなる、というのが焼き付いてしまって、
外食では食欲はでない、食べれば必ず気持ち悪くなる。

林間学校、修学旅行なんてもっての外、
朝、昼、夕、外食だなんて大っ嫌いでした。

厄介なのが外食というが給食も含むところ。
小学校特有の「給食は残さず食べましょう」というのが
真面目なタイプだった僕の良心を痛めつけます。

それが緊張感を高めてより食欲を奪います。
そして無理して食べようとすると気持ち悪くなります。
気持ち悪くなると恐怖症らしく冷静さを失います。
何度給食で泣いたことでしょうか。

ひどかったのが小学校5〜6年の岩手県に住んでいた頃。
地方特有のわんぱくな子供の多い世界。
「給食を食べきれない」ことは いじめに繋がりました。
あれだけ泣いていて、
ごみ箱に向かって「おえッおえッ」となっていても、(食べていないので吐くことはない)
「仮病だでぇ」と言われたりしました。

小学生にして死にたいと感じ、登校拒否も寸前までいきました。
通学路の途中に吐いた跡があったときのことでしたね。
怖気づいて集団登校できなかったのですが、幸い真面目さが上回って
何とか一人で道を変えて、遅刻して出かけることはできました。

ニート状態が長引いたひとつの原因として
この時ほど辛いことがないということがありますね。
辛い引きこもりも あの時ほど辛くなくて耐えられてしまう‥‥。
(これより辛かったことは祖母が亡くなったことくらいです。)


救いになったのは中学生になって和歌山に引っ越し
給食がなくなってお弁当になったことでした。
食べきらなくてもいい、残してもいい、
どれだけ気持ちが楽だったことか‥‥。

これが「外食で気持ち悪くなる」を緩和する一段階目にになったんですね。
克服まではいきませんが小学生当時に比べて現在ではマシになっています。

1年で和歌山から埼玉に引っ越しになり
そこでまた給食が再来しました。
正直最初はかなり恐怖しましたが、
中学校は「給食は残さず食べましょう」ではありませんでした。

中学校からは時間を守らせるところが強くなり
給食も時間内に食べられなければ残させます、といった感じでした。
苦手な牛乳もやんちゃ系の背の小さい男子が貰ってくれたりと
自分にかかるプレッシャーを下げてくれることが多くありました。
(牛乳が苦手なのも 幼稚園のときに吐いたから)

これが状況回復の第二ステップになったんですね。

現状では可能な限り外食はしたくない、けど出来なくはない
といった感じで随分マシになっています。

中華料理店だけは完全なトラウマ化してるのでダメですが。

ただこれらが大きく響いているのはコミュニケーション面です。
極力行かないで済ませようとするため人間関係に差が出てきます。

同学年はともかく、学年が違う人とは付き合いなくしては
なかなか仲良くなれなかったり、そこから疎外感が生まれてきたり。

「外食ができない」は他方面に影響を与えていきました。

加えてお酒が立ち塞がりります。
酔って気持ち悪くなる、というイメージの強いお酒は
僕の天敵ともいうべき食わず嫌いの代表格。
33歳ですが、舐めたことがある程度、
合計にしてコップ1杯も飲んだことがないと思います。

外食ができない、お酒がダメ、社会人に付き合い残業はつきもの、
加えてニートになるタイプの人間が持つ自信のなさが
高校3年辺りから徐々に成長していって、
それが合わさってニート期間は5年にも渡りました。

ここをご覧になってくださる皆様なら
理解して頂けると思います。


長らく恐怖症のパニック状態になることはなかったのですが、
それが再び起こったのは3年前のことでした。

こちらはまた後程。


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   副業と自分

-1-   ↓2へ

僕がせどりという副業を知ったのは
最初の短期バイトが終わった後しばらくしてからです。
地雷屋さん のブログを閲覧中に目にしましたが、
最初は副業の世界なんて全く関心がなかったのでほとんどスルーでした。

それからしばらくたって仕事探しの方が応募できないでいるうちに
少し関心が出てきて見てみると
「これならできるかも‥‥」と感じました。
このときはまだ仕事に応募できないでいることへの回避の選択肢だったようです。

最初のひと月は土日もガンガンやりましたね。
宝探し気分で楽しかったです。

セールはあらかじめ前日に仕入れる商品を下調べし、
次の日に本番というような形を取るので
少々緊張して苦手でした。

最初のひと月の純利は28000程でした。
ただお金が入金されるまではどんどんお金が減っていきます。
2万程度の予算でやっていたので心配になります。
まだ一般的な 雇われてお金を稼ぐ という価値観はあったので
こんなことやっていていいのだろうか、と不安になったこともありました。
そこで次のバイトを決めました。

やがて次のステップに進もうとしたときに
自動価格改定ツールというのを使おうとしたときに一度挫折しました。
まったくせどりとは関係ないところで。

価格改定ツールにはエクセルが必要で
当時使っていたパソコンには入っていませんでした。
安く手に入れるためにヤフオクを利用することを地雷屋さんに勧められたのですが、
このヤフオクをやってみる勇気がでませんでした。

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※読み疲れたらまた今度、頑張って読まなくてもいいので、ごゆっくり



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せどり再開を決めたのは契約社員の採用が決まってからです。

地雷屋さんのいう
「ローリスクハイリターンなことに挑戦し続けること」
「バイト+副業の二刀流」


を実践しようと
ネットビジネスに対するマインドがかなり高まっていきました。
契約社員の仕事は何のためかというと副業をメインとするためです。
必要なものをどんどん揃えていき、
期間なしの仕事といっても最初から辞めるつもりでいました。

バーコードリーダー、スマートフォン、バイク、パソコンと
前のバイトのお金も合わせてどんどん買い揃えていきましたね。

仕事帰りのみでしたのでバーコードリーダー使用といえど
専業だったせどり開始初期程の量は仕入れられませんでしたが、
それでも時間の割には多く仕入れられるようになりました。
契約社員を辞める頃には純利16000円程になりましたね。

契約社員を辞めた理由は
まずは やはり もうせどりの方が稼げると思ったから、
そしてやはり仕入れの時間、
他のネットビジネスも考え始める時間が欲しかったから、
早く専業化したかったから。

ためらいがなかったのは
最初から辞めるつもりだったことと、
やっていけると確信を持ったことと、
以前メールで地雷屋さんに貰ったアドバイス
「どっちいっても、どっちにも割りと自由に戻れると思いますよ。」という言葉。

うまくいかなくてお金が減ってきたらまた次の雇われる仕事を探せばいい、位の気持ちです。
そしたらまたバイト+副業です。十分です。


筆者の歩みのカテゴリでは、これから同じような生き方を目指す人達のために
こういった副業の成長過程を多く記録していきたいと考えています。
"程々に頑張る"はお手本にして欲しいので、大口叩いて頑張りますなんて書きませんが、
程々に頑張るのでよかったら応援してくださいね。

   プロフィール関連の記事一覧

筆者自身についてのことを色々書いてあります。
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  夢?目標?やりたかったことを思い出した。
  応援イラスト描いてみました。